タミヤについて

プラスチックモデルへの参入

プラスチックモデル1950年代半ばから日本国外製プラスチックモデルが輸入され始め、木製模型の売上が減少していったことから、プラスチックモデルを製造することが1959年に決定され、翌1960年にタミヤのプラモデル第1作目として1/800スケールの戦艦大和を発売しました。
しかし、同時期に栃木の模型メーカー・日本模型(略称ニチモ)が同型艦武蔵の1/750スケールキットを350円で発売したため、タミヤも赤字覚悟で同価格に設定しましたが、売上は届かず惨敗となりました。
金型製作費の回収ができなかったため、再び木製模型の商品化を行いましたが、その間にも当時の模型業界の流れはプラモデルへと主軸が移り始めていました。
なお、創業者の田宮義雄の自伝にはタミヤ第一弾プラモデルは武蔵だったと記されていますが、「田宮模型全仕事」の編集中に大和が同社第一弾だった事が確認されました。
1960年代に入ると、ひょんな事からプラスチック玩具の不要になった金型を借り受けることができ、それを利用して発売したレーシングカーのミニ・キットが幸運にもヒットし、資金的に次のプラモデル製作の目処が立ちました。
第2作目のプラモデルは形状が直線的で金型が作りやすいパンサー戦車に決定し、箱絵はイラストレーター小松崎茂に依頼されました。
1962年の正月に発売された同キットは、モーターを搭載し、よく走ること、組み立てやすく説明文が丁寧であることから好評となったのです。
後のミリタリー分野のスケールモデルの定番となる1/35という縮尺はこの時に生まれました。
このサイズは戦車内部に単二形乾電池が2本収まることを考えた設計のためであり、当時は正確なスケールを求める模型ファンは少なく、この縮尺は偶然の産物です(後述)。